盛男がゆく

生きること、それは日々を告白していくことだろう

空気を読む力

「なにやっとんじゃい!」と罵声が聞こえたと思ったら、「バシィィ!!」と蹴りが入る音が聞こえた。

洗い物をしている手を止めて、振り返るとバイト先で店長が若いスタッフ(社員)に激怒していた。

またか・・・もう慣れてきたこの光景。

「大した事でもないのに、何も蹴らんでもうええんちゃうの・・・」と心で呟きながら、見て見ないふりをして嫌なモノを飲み込んだ。

しかし、世間ではパワハラやマネージメントやと、社員との関係性が言われている中で、

知能レベルが低いと言うか、アナログと言うか、なんとも時代錯誤なレトロで昭和な感じな場面だ。

と思うと嫌な気持ちはどこかへ行き、少し懐かしい気分にもなった。(もちろん暴力は嫌だけど)

僕たちは幼少の頃’(昭和の後半育ち)、こう言った教育なのか躾なのかよく分からない理不尽な暴力にさらされて来た。

まだ、その時代は現代みたいにお上品ではなかったから、言う事を聞かないと体罰は当たり前だったのだ。

両親、先生、学校の先輩、警官、バイト先の上司、近所の腹巻親父まで・・・

自分が関わる人、全てから【愛の鞭】と言う名の体罰を受けた。

今考えると、未熟な大人達が僕より歳が上と言うだけで、自分の機嫌を押しつけ感情を紛らわしていたとしか思えない行為だったのだが。

僕はそんな人の中育ってきた。(この時代の人は多かったと思う)

僕が小学生だった時の担任は6年間ずっと女の先生だった。

どの先生も女性特有のヒステリックで、思い通りに行かないと怒鳴り散らかした。(どの先生も怖い先生だったと記憶している)

特に6年生の時の担任の先生は、自分の給食が用意されてなかった事に腹を立て、昼からの授業をせずに教卓に座り、2時間もの間、僕達と無言で睨みあった。

その2時間、教室は静まりかえり、嫌なムードの中、僕達は下を向いて黙った。

「連帯責任なのは分かるが、小学6年生の僕達にどうしろと言うのだ」と頭をよぎったが、

僕が代表して謝る勇気などなく、ただうつむきながらその場をやり過ごした。

授業終了のチャイムがなって終礼に入り。先生が、僕と数人(クラスメイト)の名前を上げ、

「なんでお前らがリーダーになって話を進めへんねん!」と怒鳴りつけた。

「なんで僕がそんな事しなあかんねん!たかが給食を忘れたくらいで、2時間もダンマリかましといて、何を求めてんねん!最後は生徒の自主性か?それとも自己の正当化か?なんちゅう大人や・・・」と心で思ったが、発言して終礼が長くなるのも嫌だし、皆もげんなりした顔だったので、僕もしょげた振りして、その場はかわした。(この件では学んだのは食べ物の恨みは恐ろしいと言う事だ)

僕は、こんな理不尽な気分屋の集まり中を子供の頃から生きて来たのだ。(この手の話はまだまだある、違う機会に書くかも・・・)

その結果、僕が得た物は【空気を読む(場の雰囲気を掴む)力】だ。

この力について、おそらく、僕個人高いスキルで持っていると思う。

中学に上がっても「今日、◎◎先輩の機嫌が悪いらしいで」と聞くと、すぐに陽気なモードから陰気なモードへ自分を変化させ、オーラを消し、そこに存在してないかのようにその日を過ごした。

そうする事によってトラブルは軽減され、険悪な時間も短縮されるからだ。

それに勇気を出して、なにか発言して良かった経験がまるでない。

過去に【男を上げる】為にと言った妙なプライドで「どうして悪い気分を人に当たるのですか?」喰いついた事もあったが、結果は喧嘩になるか、長い話し合いの末、納得もいかないままに分かりあった振りをするか、この二つしかなかった。

「そんな事はない!話し合えば人と人、わかりあえる部分もあるだろう」と言う人は試してみてほしい。(やっぱ嫌な奴は嫌な奴で終わる)

自分が思っているほど利はないし。後々も関係がギクシャクするだけである。

会議中や研修中の終わりがけに「最後になにか意見がある者」と聞かれ挙手する者がいるが、これも大きな迷惑である。

「もう終わる」と思ってから30分以上延長になる事もしばしばある。

しかも「会が終わってから、個人的に聞けよ」と思う実のない内容が多い。

こういった人、周りが見えない、空気の読めない人の交流もお断りだ。無駄なモノ、トラブルに巻きまれるだけだ。

と言う事で、意気地なしであろうが冷めた奴であろうが、無益な行動は慎み、その場の空気をだけを読む事に徹する事が出来るのは、そう言った理不尽な人達との関係のおかげである。今となってはとても役立つ時が多い。

誰かに激怒されたくないなら、その場の空気を読む訓練、人の性格を把握する訓練を行わなければならない。(この場所は誰がリーダーで誰が仕切っていると見極める能力など)

そう言う意味では性格の悪い嫌な人達は反面教師であるとも言える。

もちろんその関係から起こるストレスで、精神や身体が病気にならない様に十分な距離を取らなければならないのだが・・・

それが、この社会で上手く生きる方法の一つであり。生存確率を挙げる一つのスキルである事には間違いない。

今の、若い人たちはそう言った経験が少ないから、空気が読めずに大きなトラブル(殺人事件とか)に発展しやすいのかもしれない。

見方によっては、【バリアフリーは健康な年寄りの足腰も弱らせる】のだ。

まさに安全で快適すぎる社会は、人間の能力を軟弱にしてしまうのかもしれない。

何が良くて何が悪いのか本当に分からない世界だ。

ほな。