盛男がゆく

生きること、それは日々を告白していくことだろう

きんのぶた

今日は仕事が休みだったので、朝から職安へ。

職安で求人支援の相談をしているのですが、まだ少し迷いもあって今日も保留で終わり。

その帰りに、税務署に行って【確定申告】してきました。

めちゃめちゃ混雑してて、あやうく何時間もまたされる所でしたが、自分でパソコン入力出来ればすぐに終わるとの事だったので挑戦してなんとか難を逃れました。

帰り、実家に寄り。両親が近くに【きんのぶた】が出来たので行ってみたいとの事だったので、

予約を入れて、夕方に来店。

メニューが2種類食べ放題のみであったが、シルバー、シニア、ミドル、チャイルドと年齢別に料金差があって、

これはなかなかいいアイディアだと感心しました。

確かに、歳をとるごとに食べ放題は【元が取れない】と理由から遠慮しがち、しかしこの料金体系なら納得がいきますね。

味はともかく、十分に楽しめた思います。

それでも2時間くくりの所を1時間ばかりでお腹は膨れ上がり、もう若くはないと実感しましたが。

「40代も割り引きしてほしい」と思った【きんのぶた】でありました。

もう、はち切れそう・・・

ほな

空気を読む力

「なにやっとんじゃい!」と罵声が聞こえたと思ったら、「バシィィ!!」と蹴りが入る音が聞こえた。

洗い物をしている手を止めて、振り返るとバイト先で店長が若いスタッフ(社員)に激怒していた。

またか・・・もう慣れてきたこの光景。

「大した事でもないのに、何も蹴らんでもうええんちゃうの・・・」と心で呟きながら、見て見ないふりをして嫌なモノを飲み込んだ。

しかし、世間ではパワハラやマネージメントやと、社員との関係性が言われている中で、

知能レベルが低いと言うか、アナログと言うか、なんとも時代錯誤なレトロで昭和な感じな場面だ。

と思うと嫌な気持ちはどこかへ行き、少し懐かしい気分にもなった。(もちろん暴力は嫌だけど)

僕たちは幼少の頃’(昭和の後半育ち)、こう言った教育なのか躾なのかよく分からない理不尽な暴力にさらされて来た。

まだ、その時代は現代みたいにお上品ではなかったから、言う事を聞かないと体罰は当たり前だったのだ。

両親、先生、学校の先輩、警官、バイト先の上司、近所の腹巻親父まで・・・

自分が関わる人、全てから【愛の鞭】と言う名の体罰を受けた。

今考えると、未熟な大人達が僕より歳が上と言うだけで、自分の機嫌を押しつけ感情を紛らわしていたとしか思えない行為だったのだが。

僕はそんな人の中育ってきた。(この時代の人は多かったと思う)

僕が小学生だった時の担任は6年間ずっと女の先生だった。

どの先生も女性特有のヒステリックで、思い通りに行かないと怒鳴り散らかした。(どの先生も怖い先生だったと記憶している)

特に6年生の時の担任の先生は、自分の給食が用意されてなかった事に腹を立て、昼からの授業をせずに教卓に座り、2時間もの間、僕達と無言で睨みあった。

その2時間、教室は静まりかえり、嫌なムードの中、僕達は下を向いて黙った。

「連帯責任なのは分かるが、小学6年生の僕達にどうしろと言うのだ」と頭をよぎったが、

僕が代表して謝る勇気などなく、ただうつむきながらその場をやり過ごした。

授業終了のチャイムがなって終礼に入り。先生が、僕と数人(クラスメイト)の名前を上げ、

「なんでお前らがリーダーになって話を進めへんねん!」と怒鳴りつけた。

「なんで僕がそんな事しなあかんねん!たかが給食を忘れたくらいで、2時間もダンマリかましといて、何を求めてんねん!最後は生徒の自主性か?それとも自己の正当化か?なんちゅう大人や・・・」と心で思ったが、発言して終礼が長くなるのも嫌だし、皆もげんなりした顔だったので、僕もしょげた振りして、その場はかわした。(この件では学んだのは食べ物の恨みは恐ろしいと言う事だ)

僕は、こんな理不尽な気分屋の集まり中を子供の頃から生きて来たのだ。(この手の話はまだまだある、違う機会に書くかも・・・)

その結果、僕が得た物は【空気を読む(場の雰囲気を掴む)力】だ。

この力について、おそらく、僕個人高いスキルで持っていると思う。

中学に上がっても「今日、◎◎先輩の機嫌が悪いらしいで」と聞くと、すぐに陽気なモードから陰気なモードへ自分を変化させ、オーラを消し、そこに存在してないかのようにその日を過ごした。

そうする事によってトラブルは軽減され、険悪な時間も短縮されるからだ。

それに勇気を出して、なにか発言して良かった経験がまるでない。

過去に【男を上げる】為にと言った妙なプライドで「どうして悪い気分を人に当たるのですか?」喰いついた事もあったが、結果は喧嘩になるか、長い話し合いの末、納得もいかないままに分かりあった振りをするか、この二つしかなかった。

「そんな事はない!話し合えば人と人、わかりあえる部分もあるだろう」と言う人は試してみてほしい。(やっぱ嫌な奴は嫌な奴で終わる)

自分が思っているほど利はないし。後々も関係がギクシャクするだけである。

会議中や研修中の終わりがけに「最後になにか意見がある者」と聞かれ挙手する者がいるが、これも大きな迷惑である。

「もう終わる」と思ってから30分以上延長になる事もしばしばある。

しかも「会が終わってから、個人的に聞けよ」と思う実のない内容が多い。

こういった人、周りが見えない、空気の読めない人の交流もお断りだ。無駄なモノ、トラブルに巻きまれるだけだ。

と言う事で、意気地なしであろうが冷めた奴であろうが、無益な行動は慎み、その場の空気をだけを読む事に徹する事が出来るのは、そう言った理不尽な人達との関係のおかげである。今となってはとても役立つ時が多い。

誰かに激怒されたくないなら、その場の空気を読む訓練、人の性格を把握する訓練を行わなければならない。(この場所は誰がリーダーで誰が仕切っていると見極める能力など)

そう言う意味では性格の悪い嫌な人達は反面教師であるとも言える。

もちろんその関係から起こるストレスで、精神や身体が病気にならない様に十分な距離を取らなければならないのだが・・・

それが、この社会で上手く生きる方法の一つであり。生存確率を挙げる一つのスキルである事には間違いない。

今の、若い人たちはそう言った経験が少ないから、空気が読めずに大きなトラブル(殺人事件とか)に発展しやすいのかもしれない。

見方によっては、【バリアフリーは健康な年寄りの足腰も弱らせる】のだ。

まさに安全で快適すぎる社会は、人間の能力を軟弱にしてしまうのかもしれない。

何が良くて何が悪いのか本当に分からない世界だ。

ほな。

今年は辞める

なんだか今年も慌ただしくなってきた。自分から慌ただしくしているだけなのかもしれないが。

となると時間がない。時間を作るのには、なにかを辞めなければならない。

タバコは辞めて5年以上が経ち、酒はたしなむ程度、人付き合いもほとんどしない。

いろんな事をストイックに辞め続けている、そんな僕がずっと辞めたいものがある。

それは【テレビ】だ。

テレビは、情報を一方的に押し付けて来るから、あまり考える必要もない。

だから見てるだけでいいからとても楽なモノではあるのだが。

くだらない物(番組)が多すぎる。そして視聴率の為に平気で嘘を流すようになった。

腸内洗浄】なんてある時期に流行った。宿便出してダイエットみたいな。

芸能人達も番組内で、その効果に絶賛し視聴者に勧めたが・・・

全ては嘘だった。人の腸内はツルツルでに宿便などは溜まらないのである。

もちろんはあれは間違いだったとお詫びや訂正もなく、そのまま番組はダラダラ続いていた。

その他、「騒音おばさんの件」など、ニュース番組でさえ嘘、やらせのオンパレードある。

もうテレビは信用できない。見る価値もなくなった。そう思うのは当たり前だ。

「それテレビでやってたね」「俺もそれ見た」と言う様な話は最近、全く聞かない。

それよりも、「ネットで見たわ」とインターネットの方が信憑性が高くなっている。

もう誰もが気付いている。テレビがダメな事を。見ている時間がもったいない事を。

お笑い芸人を多く起用して、番組の制作費を落とし、質もかなり落としている。

もはや、テレビは疑う物でしかなくなったのだ。

しかし・・・

点いているとついつい見てしまう。すると2時間3時間とすぐに過ぎ去ってしまう。

「あほやろ!」と番組に突っ込みながらながらゲラゲラ笑っている。

そんな僕が一番アホなのだ。あー辞めたい。

ほな。

 

 

 

ゴーン・ガール

今日、僕はバイトが休みで、相方(彼女)も休みだったので二人で映画に行ってきました。

22日は夫婦の日なので、カップルは2200円(2人で)で観賞できるって事もあったのですが(笑)

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大好きな監督作品とあって、公開前から楽しみっだったのですが。

期待を裏切らない、展開、描写に圧巻でした。

彼の作品も、アンチヒーローにスポットをあてるモノが多いのですが。

今回も、そのキャラクターに引き込まれて行きました。

最近、洋画はあまり人気がないみたいだけれど、これはおススメな作品です。

冷酷なキャラが大好きな人にはたまらん映画です。

ほな。

孤独について

何処から、どう辿りつくのか・・・

そして【中島義道】に辿りついた。

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

 

孤独についての考察があるわけはなく。ほぼ著者の自叙伝である。

孤独を愛さなければ生きていけない著者が良くも悪くもドラスティックな人生を展開。

本人は不幸を連発しますが、読んでる方はさほど不幸を感じない・・・

てか、凄くツキがある人とではないか感心してしまう。

それに比べて僕は・・・

嫌、人生は比べるモノではない。その人が不幸と言えば不幸なんだ。

それでいい。新しい発見も多かった、なかなかいい本だ。

世の中には、共感できる人がまだまだいるなと思うと少し楽しくなってきた。

どうであれ、とにかく生きてみる。

ほな。

 

軽視

そもそもインフルエンザを甘く見ていた。

この季節になると必ずテレビで騒ぎだす学級閉鎖等の映像を見て、

「風邪に毛が生えたぐらいだろう」「大袈裟な!他に事件がないのか?テレビも暇だな・・・」

しかし、実際は違った。その症状はかなり苦しいものだった。

発症から終息の48時間の戦いを体験した。

熱も大そうなモノであったが、何よりも痛みだ。

頭の中にはエイリアンの卵を産みつけられ。

体中の水分は吸い取られた。(フルタイム加湿器を入れていたが全く効かない)

節々(関節)には悪魔が棲みつき時折自爆した。(普段の風邪の数倍の痛さだ)

すべての筋肉を鬼が爪で悪戯の如く引っ掻く。(ナイフで切られたかのように)

僕はその度に悲鳴をあげた。

今、やっとあの苦しみから解放されて、また新しい境地に辿りついた。

僕は【因果応報】を背負う者なのだ。

軽視していたモノから必ず、その報いを受ける。(最近、違うモノからもあったばかりだ)

前から気付いてはいたが、どうやらそう言う事らしい・・・

「僕だけ例外である」なんて事は断じてないのだ。(中にはそんな人もいるが、時間差があったり)

怯えながら暮らそうとは思ない。しかし、何事も軽視しない人間を目指そうと思う。

その為には・・・修行は続く。

ほな。(ほんましんどかった)

 

インフル

日曜の晩、急に悪寒がすると思いきや。

すぐに発熱。昨日も家でゆっくり寝ていたが、熱が下がる様子がない。

今日、病院に行って、検査器で検査すると陽性反応。

流行りのインフルエンザに感染したみたいだ。

インフルエンザに掛かった記憶がないので、人生で初めての体験になる。

悠長な事を言っているが、かなり苦しいし、節々がめちゃくちゃ痛い。

即効性の高いクスリを吸引して安静にしてろということだが。

僕はインフルエンザだけにはかからないと思っていたのだが…

伝説が破れて、悔しい思いだ。

涙が出てきた。

ほな。(なんの伝説や!)